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大人が読んでもおもしろい!理論社本 その2 『おとうさんがいっぱい』他

トラウマ本から人形劇原作まで


ikechi(出版営業)


  • 『おとうさんがいっぱい』
  • 『ペンキや』
  • 『ミルクウィード 天使の羽のように』
  • 『おこんじょうるり』

2ちゃんねるにたったスレッド名が「トラウマになる児童文学家 三田村信行」。ベテラン児童文学者の、その名誉な称号にふさわしい代表作が『おとうさんがいっぱい』


独立した5編を集めた短編集ですが、どの作品にも自分の存在そのものをおびやかすような危機が用意されています。


ゆめの中でもう一人の自分にあってしまう「ゆめであいましょう」。ある日、気まぐれにいつもと違う道を歩いてみたら、どうやっても自分の家にたどりつけなくなる「どこへもいけない道」。父親が3人に増える「おとうさんがいっぱい」。なぜかどうしても自分の部屋から出られなくなる「ぼくは五階で」。お父さんがかべに入りこんで出られなくなる「かべは知っていた」。


幼少期に読むとトラウマになること間違いなしの強烈な5編ですが、成人してから読むと、むしろ懐かしさに鼻腔を強く刺激されたような気持になります。


ざわざわした夕暮れの商店街を歩く場面の心細さ。鍵っ子が学校から帰って最初にすることが家の窓を開け放って、よどんだ空気を入れ換えることだというリアルさ。そして、自分の家族が不確かな存在になってしまう瞬間の強烈なさみしさ。ノスタルジーという陳腐な言葉では表現できない痛みがそこには描かれています。


しかし、よく読むとここにあるのは大人になる瞬間のさみしさだとわかります。自分の存在や、権威、過去、日常、家族がある日これまでとまったく違った何かに見えてしまう瞬間。うまく言葉にできないけれど、自分が昨日とは違う何かに変わってしまった瞬間というのは誰にも存在するはずです。だから、この本の最後の短編が、父親を失う物語であるというのは、とても道理にかなっています。


佐々木マキのシンプルな絵柄も見事な傑作短編集です。



――お客様が本当に好きな色を感じとるのさ 感じとったらそれをペンキで表すんだ

親方はそういうのですが それはしんやにはとてもむずかしいことでした――


『ペンキや』のペンキや見習いのしんやには、まだお客さんの気持ちをくみとって、ペンキを塗ることができません。あるとき、しんやはとてもすばらしいペンキやだったというお父さんの墓を見に、フランスへいくことを決めます。そこでしんやは、亡くなった父を知っているという不思議な女性を出会います。彼女はしんやに、いつか船を“ユトリロの白”で塗ってほしいと頼んで消えてしまいました。


帰国したしんやは、独立してペンキやをはじめ、お客さんの心にやさしくよりそうような仕事を続けます。怒りを吸いとってしまうような落ち着いた赤。一人暮らしのさみしさを包み込んで明るい気持にさせてくれるようなレモンイエロー。たくさんの悲しみや喜びが通り過ぎていったある日、しんやはあの不思議な女性と再開します……。


人の心を映しとったような色を、絵にしてくれとはなんとスリリングな注文! 出久根育はこの挑発的と言っていいような難問に見事に答えています。不思議な女性の語るユトリロの白

――そう喜びや悲しみ 浮き浮きした気持ちや 寂しい気持ち 怒りやあきらめ みんな入った ユトリロの白 世の中の濁りも美しさもはかなさも――

が本の中にあらわれる瞬間には、じんわり涙が浮かんできます。多弁に愛が語られているわけではないのですが、夫婦の間に生まれる深い愛情を描いた本でもあります。


原作者は「西の魔女が死んだ」の梨木香歩。同作者の本文で、ほかに『マジョモリ』『ワニ』『蟹塚演義』が出版されていますが、そのどれもが胸をゆさぶられる名作です。




その少年には名前がない。身よりもない。そして、家族の記憶もない。


身軽で足の速いその少年は、最初「こそ泥」と呼ばれながら物語に登場する。自分が何者かがわからない少年は、自分を何かと助けてくれる年上のストリートチルドレンに、新しい名前と過去をもらう。少年はほんとうはジプシーで、ちりぢりになってしまったけど実はたくさんの家族がいたという過去。作られた過去を大切に抱いて、泥棒をくり返しながら生きていく少年。しかし、戦争が進行し、仲のよいユダヤ人の家族がゲットーに収容される。後についていってそのままゲットーに住み着いてしまった少年は、その家族と行動を共にするようになる。まるで、アイデンティティを探すかのように。


少年は最初とても幼くて愚かだ。押しつけられたユダヤの腕章を見て、「ぼくも腕章をさせてもらえるといいなあ」と当のユダヤ人に向かって言う。彼には自分の身のまわりに起きていることがなんなのか全然わかっていない。教えてくれる人間がいないからだ。しかし、ゲットーの中でユダヤの小さな少女とその家族と生活しながら、彼は少しずついろいろなことを知っていく。


自分が憧れていたブーツ姿の男達が、自分たちを閉じこめていること。ときには自分たちを殺そうとすること。そして、だれかにやさしく櫛で髪をとかされること。寝る前におやすみのあいさつを言う相手がいること……。


『ミルクウィード』のおもな舞台はワルシャワのゲットーだ。だから、ナチスの非道を語る物語でもあるのだけど、告発小説じゃない。狂気が吹き荒れる時代で、狂気を吸収するかのように生きてきた少年の話だ。冷静な筆致で語られる少年の行動の異常さと精神の健全さは、時代の悲しみと怒りを照射する。


長い時間をかけて、やっと孤独であることから解放された彼が、最後の名前を手にするその瞬間の美しさに涙せずにいられない。



『おこんじょうるり』は岡本忠成の人形劇の原作としても有名な創作民話。


ある山に、イタコのばばさまがいた。仕事が失敗続きでねたきりになっていたばばさまは、家に忍びこんだキツネをふびんに思い、残りわずかな食料をキツネにあげてしまう。感謝したキツネはばばさまのためにじょうるりをうたう。すると、なんとばばさまの病気はすっかり治ってしまった。喜んだばばさまは、このやさしい女キツネをおこんと名付けて一緒に暮らしはじめる。やがて、ばばさまはおこんを背中に隠して、おこんのじょうるりで村人の治療をするようになる。たくさんのみやげものがもらえるようになり、一人と一匹はとても満ち足りた暮らしをしていた。しかし、ある日殿様に呼び出されて……。


50ページの絵本だけれど、このかなしみを深くくみとれのはむしろ大人の方ではなのではないかと思う。


仕事ができなくなったイタコの老婆と、心の優しい女狐の共同生活というのは考えてみればかなり現代的だ。野良猫にえさをあげることで地域から隔絶してしまう老人達を思いだす。社会から見捨てられた者同士がお互いをいたわりあいながら生活していく様は、とても思いやりに満ちている。だからこそ不条理な哀しみにあふれたラストがいっそうつらい。


それにしても井上洋介の絵がすごい。読むまでは、そのへなへなした線は不気味以外のなにものでもない。しかしいざ読んでみると、おこんがばばさまとにっこり笑うその可愛らしさや、健康になったばばさまの誇らしげな顔、そして深い悲しみの漂うラストの一人と一匹の表情に魅せられてしまう。ケモノ飼いならおさえておきたい名作でもある。


文中で紹介した理論社の本:



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[ 2010/12/06 19:09 ] ブックンロール2010 | TB(0) | CM(0)

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