◆ルリユール、クーツェ、少女神
……なんだかわからない書名っていいよね
空犬(出版編集・吉っ読)
- 『ルリユールおじさん』
- 『麦ふみクーツェ』
- 『“少女神”第9号』
お気に入りの理論社本を三点ご紹介する。いずれも、大人になってから出会ったもの。そして、いずれも、書名に、なんだかよくわからないことばが入っていて、それがこちらの読みたい気分を、妙にざわざわとくすぐってくるもの、そういう共通点があったりする。
子どものころは図鑑少年だった。動物・昆虫・乗り物……男子が好きそうな巻はだいたい好きだったが、とくにお気に入りだったのは、宇宙と恐竜だから、男子の王道を行く図鑑少年だったことになる。いずれもぼろぼろになるまで読み込んだはずだが、そのぼろぼろになった本が、その後どうなったのかはまったく記憶にない。弟がいたから、自然に譲渡されることになったのか、役目を終えたとして、廃棄されることになったのか……。
『ルリユールおじさん』の主人公、ソフィーは植物図鑑を大事にしている少女。大事な図鑑が本の体裁を失いかけたとき、「ルリユール」のところに持っていくように言われる。聞き慣れないことばだが、フランス語で、「製本職人」の意だという。
もし、少年時代の筆者に、このような幸せな出会いがあったら、あのころさんざん幼い想像力を遊ばせた宇宙や古生代の世界は今も手元に残っているかもしれない。理論社の本ではないが、同じテーマを扱った漫画『白い本の物語』(小学館)の併読を強くすすめたい。
「ルリユール」……字面もいいが、声に出してみると、その不思議な響きの魅力がさらに増す。次の「クーツェ」も不思議なことばで、行為は想像できるが自分の日常語彙にない「麦ふみ」と合体することで、さらに不思議さを増す。いい書名だ。
音楽家を目指す少年の物語には、当然のことながら音が満ちているのだが、音楽のそれとはかぎらない。麦を踏む音、風の音、足音、物が焼ける音……さまざまな音が作品世界を彩っていて、それらがページから聞こえてくる。だから、二度三度読みたくなる。文庫化もされているが、カバー装画がすばらしい理論社版で読むことを強くおすすめする。スピーカーは大きいほうがいいに決まってるしね。
「少女神」がどんな神で、それの「第9号」とはいったい何なのか。なんだかよくわからない。ライダー1号、2号みたいなものなのか。男子の妄想を刺激してやまない書名だが、そのような誤った先入観や想像を引きずったままでぜひ読み始めていただきたい。甘い書名、ファンシーな装丁、カラフルな本文だからとなめてかかると、強烈なボディブローを食らうことになろう。新潮クレストブックスに入っていてもおかしくない、ポップでリアルでファニーでシュールで、ちょっと痛くて切ない短編集。傑作。
文中で紹介した理論社の本:
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◆「よりみちパン!セ」という冒険◆
花本 武(BOOKSルーエ・吉っ読)
理論社はヤングアダルトのトップランナーだ。ヤングアダルトというジャンルは、とても難しくかつ、厳しい。購買層が極めて限られているうえに、読書どころでない年代を中心としている。だが、本当はその年代の者は読書を必要としているはずだし、将来その読書が生き方に大きく作用するだろう。とても重要なのだ。
そんなシーンに風穴を開けんとスタートしたのが、YA新書「よりみちパン!セ」だ。100%ORANGEと祖父江慎さんによる素晴らしい造本で、豪華で意外な書き手がそろっている。YAをうたっていて、バクシーシ山下さん(AV監督)や、鈴木邦男さん(右翼)が登場するあたり壮絶だ。
パンセが計らずも(?)担っているのは、読書の豊穣な海への入り口だ。仕事が多岐に渡る書き手の入門にして核となっている部分だけを抽出して、より奥の深い世界があることをきちんと提示してくれる。次の読書につながるわけで、出版全体への貢献としても見逃せない。書き手にとってもきっと魅力的な受け皿となっているはずだ。
そういったところを体現していて、お気に入りの二点が、みうらじゅんさんの『正しい保健体育』と小熊英二さんの『日本という国』だ。
前者は当店のサブカルコーナー不動の平積み銘柄。もう全篇に渡ってあっけらかんとしたシモネタが横溢しているボンクラたちの教科書だ。
一方、小熊さんは、大著『〈民主〉と〈愛国〉』(新曜社)をこれでもかというほど噛み砕いて、明治からの日本が歩んできた道を、慎重に検証していく。平易な文体で、万遍なく流れを示してくれる格好な現代日本史の教科書なのである。
この二点だけでもパンセの振れ幅がどれほどか、わかっていただけるかとおもう。続刊予定として、佐藤優さん、リリーフランキーさん、内田樹なんかも挙がっている。
読者も書き手も書店員もパンセを待っている。偉大なるよりみち。前人未到の出版的冒険を。
文中で紹介した理論社の本:
◆「ミステリーYA!」の魅力◆
渡辺 忠(beco cafe・吉っ読)
少し泣きそうになった。牧野修『水銀奇譚』を読み終わり、作者あとがきを読み始めた時である。あとがきの出だしにはこうある。
もしかしたら、とわたしはたまに思うことがある。もしかしたら、わたしの書いた小説で、誰かを救うことができるのではないかと。
少年少女にむけた本格ミステリー・SF・ファンタジー・ホラー、各ジャンルの大御所・若手豪華執筆陣(有栖川有栖、皆川博子、海堂尊、柳広司など)が子どもたちにむけて書き下ろす理論社のシリーズ「ミステリーYA!」。そんな「ミステリーYA!」の魅力をちょっとでもお伝えできればと思います。冒頭にあげた牧野修さんが書かれているように、この「ミステリーYA!」ではどの作家さんの作品も、子どもたちに真摯に向かい合って、物語によって何かを伝えるんだ、という気持ちが強く読者にわかるようになっているのが魅力になっています。
子どもたちは成長のなかで、何を失い、何を得るのか……。それぞれの物語の描き方、答え。作家さんごとのカラーを、色とりどり楽しめる充実内容、それが「ミステリーYA!」なのです。そんなシリーズの中から三作ほど紹介してみますと。
離れてゆく友だちと少しずつ大人になってゆく自分を、恐竜の謎を中心に書いた山田正紀『雨の恐竜』。小学校のとき仲が良かった友だちも、中学にあがるとなぜか少し距離ができるという誰もが経験のある胸キュンな事象が描かれ、それが恐竜ファンタジーに落ち着くという魔訶不思議さが魅力。
小学校のときに埋めたタイムカプセルの謎を巡る、折原一『タイムカプセル』。タイムカプセルってやっぱり埋めますよね! 埋めましたよ、私も! 読者も物語の主人公たちと一緒にタイムカプセルの中を確認しているような気持ちになれる構成の後半は、ワクワクです。
憧れの大学サークル生活をおもしろくミステリーにしたてた大倉崇裕『オチケン!』なんかは、単純に大学ってこんなに楽しいんだぜ!ってのがひしひし伝わってくるし、落語をわかりやすく、寿限無などの定番から教えてくれるというサービス精神が何とも言えず良いなぁと。
さてここまでくるとお気づきですね。はい、子どもむけシリーズですが大人も充分楽しめます。だってね、大人も子どもだったわけですから。自分の身体に眠る子どもの部分を鷲掴みにしてくれて、かつ大人も楽しめる謎と解決を用意していてくれるとなると、もう読まざるをえませんよね?! さあ、子どもに戻って、レッツYA読書!
文中で紹介した理論社の本:
◆DTワールド全開!「よりみちパン!セ」◆
空犬(出版編集・吉っ読)
- 『正しい保健体育』
- 『男子のための人生のルール』
- 『ひとはみな、ハダカになる。』
- 『童貞の教室』
- 『男子のための恋愛検定』
- 『恋と股間』
テーマと書き手の組み合わせの妙、中学生相手だからって一切のおもねりも手抜きもない中身、斬新でかっこいいデザインと造本……「よりみちパン!セ」のすばらしさをあげようと思えばいくらでもあげられるのだけれど、本稿でとくに強調したいのは、この叢書がいいアニキ&いいオヤヂたちによる「男子の教科書」的な本の宝庫である、ということです。
冒頭のリスト、六点をあらためて見てください。書き手は順に、みうらじゅん、玉袋筋太郎、バクシーシ山下、松江哲明、伏見憲明、杉作J太郎の各氏。いやはや、これ、児童書の王道、数々の名作を刊行してきた理論社のラインナップですよ。ひと昔前の同社の企画会議に、こんなラインナップが提出されたとしたら……想像するだけで楽しいですよね。
みうらじゅんさんや、伏見憲明さんはまあ、ありかな、という気もするけど、玉袋とか、バクシーシとか、J太郎とか、字面からすごすぎるし、プロパーな児童書の世界の人、知らないって(笑)。なにしろAV監督が混じっていますからね。しかも、書名が、ハダカに童貞に股間かよ、って(笑)。児童書に品や格を強く求めるタイプの人なら卒倒しそうな本たちですよ、これ。
ただ、中身がフマヂメかっていうと、これがまったくそんなことなくて、むしろ直球過ぎるぐらいにマヂメで熱い本なんですよ。なかでも、個人的におすすめしたいのは、『男子のための人生のルール』。浅草キッド、著述関係では、相方の水道橋博士の幅広い活躍が知られていますが、筋太郎氏も負けじとがんばっています。全編にいいアニキオーラが満ちた、熱い一冊で、頭の良さを感じさせる博士の文章とはまた違った「漢(おとこ)」の魅力に満ちています。
もう一冊は、『恋と股間』。著者名とタイトルがすでに出来すぎかつおもしろすぎ、もう読まなくてもいいんじゃないか、という気にさせられる、という意味では、マーケティング的には失敗しているのかもしれませんが、って、うわ、何書いてんだ、いや、そんなことありません! ぜひ読んでください! 十四歳相手に、この語り口、このマヂメさ、この熱さ……「元」含め、全男子感涙必至の一冊ですよ。
っていうか、男子は先の六点、全部読んでください。これ、男子にとっては、人生の宿題みたいなものですから。あっ、もちろん、男子という原始的な生き物の生態を知るうえで非常にためになる本たちですから、女子のみなさんにも強くおすすめしておきます。
文中で紹介した理論社の本:
◆トラウマ本から人形劇原作まで◆
ikechi(出版営業)
- 『おとうさんがいっぱい』
- 『ペンキや』
- 『ミルクウィード 天使の羽のように』
- 『おこんじょうるり』
2ちゃんねるにたったスレッド名が「トラウマになる児童文学家 三田村信行」。ベテラン児童文学者の、その名誉な称号にふさわしい代表作が『おとうさんがいっぱい』。
独立した5編を集めた短編集ですが、どの作品にも自分の存在そのものをおびやかすような危機が用意されています。
ゆめの中でもう一人の自分にあってしまう「ゆめであいましょう」。ある日、気まぐれにいつもと違う道を歩いてみたら、どうやっても自分の家にたどりつけなくなる「どこへもいけない道」。父親が3人に増える「おとうさんがいっぱい」。なぜかどうしても自分の部屋から出られなくなる「ぼくは五階で」。お父さんがかべに入りこんで出られなくなる「かべは知っていた」。
幼少期に読むとトラウマになること間違いなしの強烈な5編ですが、成人してから読むと、むしろ懐かしさに鼻腔を強く刺激されたような気持になります。
ざわざわした夕暮れの商店街を歩く場面の心細さ。鍵っ子が学校から帰って最初にすることが家の窓を開け放って、よどんだ空気を入れ換えることだというリアルさ。そして、自分の家族が不確かな存在になってしまう瞬間の強烈なさみしさ。ノスタルジーという陳腐な言葉では表現できない痛みがそこには描かれています。
しかし、よく読むとここにあるのは大人になる瞬間のさみしさだとわかります。自分の存在や、権威、過去、日常、家族がある日これまでとまったく違った何かに見えてしまう瞬間。うまく言葉にできないけれど、自分が昨日とは違う何かに変わってしまった瞬間というのは誰にも存在するはずです。だから、この本の最後の短編が、父親を失う物語であるというのは、とても道理にかなっています。
佐々木マキのシンプルな絵柄も見事な傑作短編集です。
――お客様が本当に好きな色を感じとるのさ 感じとったらそれをペンキで表すんだ
親方はそういうのですが それはしんやにはとてもむずかしいことでした――
『ペンキや』のペンキや見習いのしんやには、まだお客さんの気持ちをくみとって、ペンキを塗ることができません。あるとき、しんやはとてもすばらしいペンキやだったというお父さんの墓を見に、フランスへいくことを決めます。そこでしんやは、亡くなった父を知っているという不思議な女性を出会います。彼女はしんやに、いつか船を“ユトリロの白”で塗ってほしいと頼んで消えてしまいました。
帰国したしんやは、独立してペンキやをはじめ、お客さんの心にやさしくよりそうような仕事を続けます。怒りを吸いとってしまうような落ち着いた赤。一人暮らしのさみしさを包み込んで明るい気持にさせてくれるようなレモンイエロー。たくさんの悲しみや喜びが通り過ぎていったある日、しんやはあの不思議な女性と再開します……。
人の心を映しとったような色を、絵にしてくれとはなんとスリリングな注文! 出久根育はこの挑発的と言っていいような難問に見事に答えています。不思議な女性の語るユトリロの白
――そう喜びや悲しみ 浮き浮きした気持ちや 寂しい気持ち 怒りやあきらめ みんな入った ユトリロの白 世の中の濁りも美しさもはかなさも――
が本の中にあらわれる瞬間には、じんわり涙が浮かんできます。多弁に愛が語られているわけではないのですが、夫婦の間に生まれる深い愛情を描いた本でもあります。
原作者は「西の魔女が死んだ」の梨木香歩。同作者の本文で、ほかに『マジョモリ』『ワニ』『蟹塚演義』が出版されていますが、そのどれもが胸をゆさぶられる名作です。
その少年には名前がない。身よりもない。そして、家族の記憶もない。
身軽で足の速いその少年は、最初「こそ泥」と呼ばれながら物語に登場する。自分が何者かがわからない少年は、自分を何かと助けてくれる年上のストリートチルドレンに、新しい名前と過去をもらう。少年はほんとうはジプシーで、ちりぢりになってしまったけど実はたくさんの家族がいたという過去。作られた過去を大切に抱いて、泥棒をくり返しながら生きていく少年。しかし、戦争が進行し、仲のよいユダヤ人の家族がゲットーに収容される。後についていってそのままゲットーに住み着いてしまった少年は、その家族と行動を共にするようになる。まるで、アイデンティティを探すかのように。
少年は最初とても幼くて愚かだ。押しつけられたユダヤの腕章を見て、「ぼくも腕章をさせてもらえるといいなあ」と当のユダヤ人に向かって言う。彼には自分の身のまわりに起きていることがなんなのか全然わかっていない。教えてくれる人間がいないからだ。しかし、ゲットーの中でユダヤの小さな少女とその家族と生活しながら、彼は少しずついろいろなことを知っていく。
自分が憧れていたブーツ姿の男達が、自分たちを閉じこめていること。ときには自分たちを殺そうとすること。そして、だれかにやさしく櫛で髪をとかされること。寝る前におやすみのあいさつを言う相手がいること……。
『ミルクウィード』のおもな舞台はワルシャワのゲットーだ。だから、ナチスの非道を語る物語でもあるのだけど、告発小説じゃない。狂気が吹き荒れる時代で、狂気を吸収するかのように生きてきた少年の話だ。冷静な筆致で語られる少年の行動の異常さと精神の健全さは、時代の悲しみと怒りを照射する。
長い時間をかけて、やっと孤独であることから解放された彼が、最後の名前を手にするその瞬間の美しさに涙せずにいられない。
『おこんじょうるり』は岡本忠成の人形劇の原作としても有名な創作民話。
ある山に、イタコのばばさまがいた。仕事が失敗続きでねたきりになっていたばばさまは、家に忍びこんだキツネをふびんに思い、残りわずかな食料をキツネにあげてしまう。感謝したキツネはばばさまのためにじょうるりをうたう。すると、なんとばばさまの病気はすっかり治ってしまった。喜んだばばさまは、このやさしい女キツネをおこんと名付けて一緒に暮らしはじめる。やがて、ばばさまはおこんを背中に隠して、おこんのじょうるりで村人の治療をするようになる。たくさんのみやげものがもらえるようになり、一人と一匹はとても満ち足りた暮らしをしていた。しかし、ある日殿様に呼び出されて……。
50ページの絵本だけれど、このかなしみを深くくみとれのはむしろ大人の方ではなのではないかと思う。
仕事ができなくなったイタコの老婆と、心の優しい女狐の共同生活というのは考えてみればかなり現代的だ。野良猫にえさをあげることで地域から隔絶してしまう老人達を思いだす。社会から見捨てられた者同士がお互いをいたわりあいながら生活していく様は、とても思いやりに満ちている。だからこそ不条理な哀しみにあふれたラストがいっそうつらい。
それにしても井上洋介の絵がすごい。読むまでは、そのへなへなした線は不気味以外のなにものでもない。しかしいざ読んでみると、おこんがばばさまとにっこり笑うその可愛らしさや、健康になったばばさまの誇らしげな顔、そして深い悲しみの漂うラストの一人と一匹の表情に魅せられてしまう。ケモノ飼いならおさえておきたい名作でもある。
文中で紹介した理論社の本: